Category : 日々の出来事

八鶴湖の初出式

今日1月11日は2016年の初出式の日だった。
僕は初めて初出式というものを見た。
映像や写真では梯子を登ったりホースで水を蒔いたりと見た事はあったのだが、今回初めて写真を撮る為にこの場にやって来た。
どのようにするかなどは、予め話しを聞いたり、前年の映像を見たりしていたので
大体の様子は知っていたのだが、やはり実際に見るとなかなか壮大なものだなと感じる。
周囲800mの八鶴湖をおよそ半周消防車が取り囲み、放水をする。
放水時間はおよそ10分から15分程度か。
今年は雲が出ているので常に虹がかかるような事は無かったが、それでも雲の切れ目から出てくるお陽さまの光が短い時間の虹を見せてくれた。

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この八鶴湖の水を放水する初出式はもうずいぶん長くやっているのだろう。
実は昨年に縁あって昭和33年(西暦1958年)の初出式の写真をスキャニングさせてもらった。
八鶴湖の畔に建つ最福寺の山門の前で初出の放水をしている。
このアングルと同じ写真を撮ってみたかったのだが正直カメラが壊れる覚悟が無ければ現在では撮れないアングルとなっている。
というのはたぶん消防の数が違うのだ、その当時は八鶴湖の半周を囲むようにはしていなかったのでは無いだろうか?
それと、ポンプの水圧が違うのか現在の放水とは角度が違う。
現代では40度近くの角度で上に向けて水を放つ。
その水は上空で風に流されて風下に飛んでくる。
昭和33年のこの写真の位置では、まさにずぶ濡れとなるだろう。

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この今から60年前のこの写真を見て
そして今日写した写真を見ていると、そう大きく変わったわけでは無いその様子が少し嬉しく思う。

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こちらは今日写した写真を白黒にしたもの。
60年前と大して変わらなく見えるのは、白黒にしたからか?
いや、ならば60年前の白黒写真を想像の中でカラーにしたらどうなるか?(笑
もしかしたら、もっと鮮やかな景色が見えていたのかも知れない。

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九十九里浜 日々の散歩の写真

毎日のように海辺を散歩しながら写真を撮っています。
朝と夕とできたら2回の散歩に出ます。
朝は透き通るようにな青空に出会えると、とても爽快な気持になれます。
夕方は美しいオレンジ色の夕焼けに出会えると、とても幸せな気持になれます。

当然ですが毎日が青空でも無いし、夕焼けでもありません。
でも、九十九里浜の空は広いのです。
ぐるっと見渡す限り空なのです。
ですから、曇りと言っても一面の灰色という事はほとんど無くて、明暗があって、雲の凹凸があって、とても面白いのです。

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海辺にはたくさんの生き物達が暮らしています。
カモメや浜千鳥、貝や魚、たまにはウミガメも上がって来ます。
遠く水平線を見ていると、いつかはあの向こうの海へ行ってみたいと思うのです。

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毎日が同じ海ですが、毎日が違う海で、飽きる事は全く無くて、歩いていると色々な事を想像できる場所だったりします。

そんな海の写真を、すごく短くまとめてみました。
「房総半島 第十巻」このページは2015年の散歩の海と空を24枚にまとめたギャラリーです。
「房総半島 第十一巻」このページは鳥、犬、人、人の気配がするようなモノ、という感じで、やはり2015年に撮った写真を24枚にまとめたギャラリーです。

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八鶴湖 十五夜 キャンドルナイト 2015

十五夜 キャンドルナイト

今年も千葉県東金市にある八鶴湖畔で十五夜キャンドルナイトが催されました。
僕も今回はこのイベントの主催側として初めて参加しました。
準備の段階では、様々なワークショップを催し、多くの方々に参加していだき、また協賛金という事で、ご近所の商店街の方々にご協力をいただきました。また普段より八鶴湖の弁天様を守っていらっしゃる地元の方々の中には進んで草刈りをしていただいた方もいらっしゃり、本当に感謝です。

このようなイベントはいつも鑑賞する側として居たのですが、主催参加する側に立つとそこには多くの方々との出会いがあり、難しい問題や、思いがけない収穫があって、あっという間の数ヶ月ではあったのですが、思い出深い数ヶ月ともなりました。

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当日は運良く天候にも恵まれ中秋の名月がご褒美のようにお祝いをしてくれました。
ご覧のように全ての欄干の上と下にキャンドルを置き、弁天さまの参道にもキャンドルを起きました。
それらは全て手作業となり、多くのボランティアの方々の努力のお陰です。

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八鶴湖は徳川家康が鷹狩りに来るという事で作られた人工の湖です。
でも人工と言っても、そこは江戸初期の事。今のようにな工事とは違うわけで、八鶴亭の三階に登って、辺りを見渡し、少し想像力を膨らませれば、そこには風流な景色が見えて来て、家康の為にと作ったその庭?は自然を感じさせるものだったのでは無いか?と思わせます。
でも、家康だってまさか四百年後に八鶴湖の十五夜がこのように飾られるなんて夢にも思わなかったでしょうね。

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(上の写真は八鶴亭三階より撮影した写真です)

十五夜なのですが、その由来については、はっきりとした事は解らないようです。
唐代の中国からはじまり、平安時代の日本に伝わったとされるのが、古い書から伺われるそうです。一般庶民に広くひろまったのは江戸時代という事のようです。
ただ、それも始まりの起源とは違うので・・・、こんな話もあります。
縄文時代にも月を愛でる風習はあったという事です。
縄文の文化を少し知ると、アミニズムという言葉が見えてきます。木々や山や川や岩達に神様を見るというものですね。
そんなご先祖さま達ならば月を愛でるのも普通かな?と思ったりします。
縄文というと、ずいぶんと古い話ではあるのですが、江戸時代に一般大衆に広まった「お月見」の風習は、実はそんなDNAもあったりして。。と思ったりします。たかが月とはしない、自分達の頭上に現れる大きな星として身近に親しみを感じ、暦では月齢を読み生活に活かし、たぶん満月の月明かりは今より遥かに有り難かったでしょうし、風流で詩も読み、そしてお祈りもしちゃう。それは、その土地の神様を愛でるのと同じかな?と。
それは儀式やら何やらと違う、もっと根源的な繋がりと思いのような。。

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きっと、それぞれに「お月見」の過ごし方や思いは違うのでしょうね。

この「八鶴湖 十五夜 キャンドルナイト」はこれからも続けていく予定です。
今回、見逃してしまった方はぜひ来年は一緒に八鶴湖の十五夜にお出で下さい。
また、ご自分のキャンドルや灯籠も飾りたいとか、提灯を持って(自作でもOKです)歩きたいとか、十五夜を飾る何かを作りたいなどありましたら、是非ご連絡ください。
NPO法人 東金ゼーション キャンドルナイト実行委員会です。
が、、、、まだNPOが出来たばかりなので、僕にメール等でご連絡をいただいてOKです。
近いうちに、ご連絡先を告知できる予定です。

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十枝の森で自然を思う

十枝の森

この森に行ったのは友人に紹介されてでした。
とても素敵な森だと言われました。

僕は、もうずいぶん前から自然に関して色々と考えたりする事が多くて、頭でっかちなくらいに自然について考えていました。
僕の自然へのアプローチは「心の自然」、ようするに自然体の心でした。
穏やかな?そうでも無いし、静かでも無いし、だって自然は荒々しいこともあれば、冷たいこともあるし、暑いこともあれば、厳しいこともある。
そうして考えると自然とは何だか解らなくなって、ある日、自然の反対語は何だろう?と思うようになりました。
自然の反対語・・。これはなかなか難しかったのです。が、ある日ふと頭に浮かびました。
蟻の巣や鳥の巣は自然と言うけれど、人間の家は自然とは言わない。
獣道は自然と言うけれど、人間が作った道路は自然とは言わない。
虫も鳥も獣も人間も自然の一部なのは間違いが無い。
自然の一部の生き物が同じように何かを作ったのに、片方は自然であり、片方は自然では無い。
この自然の反対語とはいったい何か?で考えついたのが、自然とはモノでは無い。
自然とは、そのエネルギーの流れ方なのでは無いか?
自然とは、流れ方の様子のことを言っているのでは無いか?
そんな答えでした。
無理の無い、横車を押すような事の無い、上から下へ落ちるべくして落ち、登るべくして登る、止まるべくして止まる。
それが自然なのだと思いました。
そして後に、ある本で自然の語源を知りました。

それは「自ずから然るべくようになる。」

この語源は僕が若い頃に随分考えていた事をそのままに現している言葉でした。
そして、この言葉は今の自分のプロフィールのページでも使わせてもらっています。

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そんな自然という概念が好きな僕は森という存在が好きです。(自分の名前なので変な感じですが)
僕が幼い頃に育った東京の清瀬市という場所には大きな森がありました。
僕はよくその森の中に入って遊んでいました。友人とも1人でも、よく遊んでいました。
森の中で色々な音を聞き、光を見、生き物と出会い、たまには怪我もして、森の中で過ごしていました。
それは、都市化が進みつつある東京においては、置き去りにされていた雑木林でした。
誰かが持っている土地だったのだと思いますが、森と共に生きる生活から離れた人々に手放されたように、自然のままに木が生える森でした。

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そして、ようやく本題の十枝の森です。
人が管理をした森。そんな言葉を聞いた瞬間に僕は少し引いてしまいます。人を信用していないという事かしら?(笑
でも人が入ると自然が壊れるというのは地球上で証明され続けて来た事で・・・。
なので、今回こちらの森を紹介してくれた友人が、もし僕と同じような自然感の人で無かったら十枝の森に行って無かったように思います。
それでも、期待半分で行きました。(苦笑
僕らが森に着いた時は誰も居ませんでした。
ただ、森が持っている気持良さは車を置いた場所からも少し伝わってきました。

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十枝の森は、お婆ちゃんの家の周辺を囲んでいます。
木々の立ち方が、そこにあるように立っていました。
意図的にそこに木を生やすには、仙人のような人が必要でしょう。
お庭には小さな道がついています。それは人が渡るように着いた道でしょう。(そう感じられる道です)
草花が群生するように生えています。はたして群生させるように植えたのでしょうか?
僕には植えたようには見えませんでした。
亡くなった十枝の森のお婆ちゃんの言葉が浮かびます。

「特別な事は何もしていないの」
「鳥が運んできたり風に乗ってやってきたりした種たちが、木になり花となって自然が森を作っているの」

自然と共に寄り添うようなその言葉が、この森をそのままに表現しています。

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庭を歩き回ると色々な角度から、同じ場所を見る事ができます。
その見える景色が良いのです。
無理の無いその景色に居心地の良さを感じます。
大きな椎の木が庭に立っていました。
きっとお婆ちゃんより年上です。でもその木はこれからも立ち続けるのでしょう。
花々の間をチョウチョや蜂達が飛んでいます。
草の中ではバッタが居ます。
そのバッタはカマキリに狙われています。
そんな景色は自分の家の庭でも見られる景色です。
同じ景色なのに何故か十枝の森の方が時間がゆったりと流れているように感じるのです。

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今僕は自分の家の庭によく出ます。
もちろん、こんなに大きな庭では無いけれど・・。
でも、お婆ちゃんと同じように自然が好きなつもりで居ます。
同じように自然という事を感じているつもりで居ます。
でも、同じようにはならないという事は
きっと頭で解って口で言っているだけで、心で解っていないのでしょう。

生きている間に一度、お話を聞いてみたかった。

※ 十枝の森の写真はもう少しだけPhotoisdiscovery十枝の森で紹介しています。

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Hello world! こんにちは世界。

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毎日の散歩の中で少しだけ良い景色に出会う事があります。

けっして意図して配置した分けでは無いのに現れる景色には自然とカメラが向かいます。

偶然と言えばそれまでですが、出会える事もけっこう大事なのだと思ったりします。

出会えるように、いつも心に太陽を。

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