Monthly Archives: 10月 2015

七五三の季節です。

七五三

三歳と七歳に女の子 五歳に男の子のお祝いをするのが七五三とされています。

七五三の由来は解っていないみたいです。
最も古いとされる歴史は中国の道教から来る思想とされているようです。
三歳になるまでは人の記憶が曖昧で、それまでは天の記憶、神の記憶で
五歳になると大地の要素「木、火、土、金、水」を受けて
七歳になると天空の要素「太陽、月、木星、火星、土星、金星、水星」を受ける
そんな思想を取り入れたものだという説です。
きっと自然との関わりの中で、子供が病などで死ぬことも多く、また子供の頃の様子を見ている大人達が、無垢なその様子に神聖なものを感じた、とするのかも知れませんね。
子供達を見て、無垢な輝きを感じる。そんな意識は今と変わらないのかも知れません。
そんな思想を取り入れて平安時代の日本では公家や武家の間で七五三の元になったと思われる行事が行われていたようです。
「日本では」というのは、当の中国では七五三のような行事が行われたという歴史が見付からないのですね。なので七五三は海外の文化を日本流にした行事なのですね。

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その後ざっくりと江戸時代まで降りてきます。

徳川の第五代将軍綱吉が自分の息子の成長を祈ったのが11月15日で、以来11月15日が七五三の日になったとも言われています。
まぁ諸説あるのですが、この辺りが有名な話ですね。
七五三のこの意味や、三歳は女の子、五歳は男の子、七歳は女の子というのも、またまた諸説あって面白いなと思います。
ちなみに七歳の七五三の着物は帯を巻き、三歳では巻きませんね。これは「帯解きの儀」というようで、それまで紐だったものを帯に変える事だそうです。女性になるという事なのですね。
現代では、その感覚はピンと来ませんが、形としては残っています。たしかに三歳の時の着物姿と七歳の時の着物姿では随分違う印象がありますね。

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一般庶民の間で七五三が広まったのは明治になってからと言われています。

それまでは誕生日とか、お正月とか、三歳だけとか地域によって様々だったのが
明治からの新暦で、11月15日にいっせいに七五三をするようになったから「七五三」という行事が今のように全国的に行われるようになって伝統行事のようになったと言います。
なので、それまでの七五三は今のようでは無いという事なのですが、千歳飴はあったのですよね。。千歳飴は江戸時代からで、江戸の商人が作り出したとか大阪から江戸に来た商人が作り出したとか言われているのですが、何にせよ江戸で売り出した飴なのです。どちらの説ともに1600年代に売り出したのですから綱吉が子供の為にお祝いをした七五三とほぼ時を同じにしていると言えるのかな?なんて思ったりします。
ですので、庶民の間では今のような七五三の行事は無かったとしても、御上にあやかるようなお祭り的な楽しみ方はしていたのだろうな。なんて思ったりしますね。

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道教から歴史を見て来て思うのは

どの時代の親も、きっと子を見る顔は変わらなかったのだろうな。
そんな想像が時代を超えて見えてきます。

 

※家族写真や七五三の写真をディスカバリーの家族写真のページでご覧になる事ができます。

追記 七五三の写真のギャラリーページを作りました。(2015年10月17日)

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八鶴湖 十五夜 キャンドルナイト 2015

十五夜 キャンドルナイト

今年も千葉県東金市にある八鶴湖畔で十五夜キャンドルナイトが催されました。
僕も今回はこのイベントの主催側として初めて参加しました。
準備の段階では、様々なワークショップを催し、多くの方々に参加していだき、また協賛金という事で、ご近所の商店街の方々にご協力をいただきました。また普段より八鶴湖の弁天様を守っていらっしゃる地元の方々の中には進んで草刈りをしていただいた方もいらっしゃり、本当に感謝です。

このようなイベントはいつも鑑賞する側として居たのですが、主催参加する側に立つとそこには多くの方々との出会いがあり、難しい問題や、思いがけない収穫があって、あっという間の数ヶ月ではあったのですが、思い出深い数ヶ月ともなりました。

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当日は運良く天候にも恵まれ中秋の名月がご褒美のようにお祝いをしてくれました。
ご覧のように全ての欄干の上と下にキャンドルを置き、弁天さまの参道にもキャンドルを起きました。
それらは全て手作業となり、多くのボランティアの方々の努力のお陰です。

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八鶴湖は徳川家康が鷹狩りに来るという事で作られた人工の湖です。
でも人工と言っても、そこは江戸初期の事。今のようにな工事とは違うわけで、八鶴亭の三階に登って、辺りを見渡し、少し想像力を膨らませれば、そこには風流な景色が見えて来て、家康の為にと作ったその庭?は自然を感じさせるものだったのでは無いか?と思わせます。
でも、家康だってまさか四百年後に八鶴湖の十五夜がこのように飾られるなんて夢にも思わなかったでしょうね。

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(上の写真は八鶴亭三階より撮影した写真です)

十五夜なのですが、その由来については、はっきりとした事は解らないようです。
唐代の中国からはじまり、平安時代の日本に伝わったとされるのが、古い書から伺われるそうです。一般庶民に広くひろまったのは江戸時代という事のようです。
ただ、それも始まりの起源とは違うので・・・、こんな話もあります。
縄文時代にも月を愛でる風習はあったという事です。
縄文の文化を少し知ると、アミニズムという言葉が見えてきます。木々や山や川や岩達に神様を見るというものですね。
そんなご先祖さま達ならば月を愛でるのも普通かな?と思ったりします。
縄文というと、ずいぶんと古い話ではあるのですが、江戸時代に一般大衆に広まった「お月見」の風習は、実はそんなDNAもあったりして。。と思ったりします。たかが月とはしない、自分達の頭上に現れる大きな星として身近に親しみを感じ、暦では月齢を読み生活に活かし、たぶん満月の月明かりは今より遥かに有り難かったでしょうし、風流で詩も読み、そしてお祈りもしちゃう。それは、その土地の神様を愛でるのと同じかな?と。
それは儀式やら何やらと違う、もっと根源的な繋がりと思いのような。。

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きっと、それぞれに「お月見」の過ごし方や思いは違うのでしょうね。

この「八鶴湖 十五夜 キャンドルナイト」はこれからも続けていく予定です。
今回、見逃してしまった方はぜひ来年は一緒に八鶴湖の十五夜にお出で下さい。
また、ご自分のキャンドルや灯籠も飾りたいとか、提灯を持って(自作でもOKです)歩きたいとか、十五夜を飾る何かを作りたいなどありましたら、是非ご連絡ください。
NPO法人 東金ゼーション キャンドルナイト実行委員会です。
が、、、、まだNPOが出来たばかりなので、僕にメール等でご連絡をいただいてOKです。
近いうちに、ご連絡先を告知できる予定です。

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結婚式の写真の打ち合せは・・。

結婚式の写真の打ち合せ

もう5年も前の写真です。
鎌倉の裏の山を歩きました。変な打ち合せですね。(苦笑
結婚を機に、鎌倉に家を借りたという事で、ご新居にお誘いを受けて伺いました。
少しの時間、ご新居でお話をした後に「散歩に行きませんか?」というご提案で、外をしばらく歩きました。
さすが鎌倉は頼朝の時代から作られた街だけに色々な見所のある場所です。
なんと言っても幕府があった場所ですしね。
ただ、この時に行った散歩道は、よく知っている観光地をほぼ通らない裏道が多かったように思います。(正直そこまで鎌倉を歩いた事が無いので、どこを歩いたのかあやふやなのですが、初めて通ったところばかりでした。)

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ふたりは登山が好きだという事もあるのでしょうね。登ったり降りたりが多く、周辺の景色は山の景色でした。
歩いている二人の姿は、自然の中を楽しんでいるようで心地良さそうで、「あ〜こうして二人で登山をしているのかな?」などと想像をしながら僕は歩いていました。

もう1時間以上も歩いたでしょうか?
ふと見ると小さな看板があって、その向こうに何かがあるように書いてあります。
行ってみますか?という事になって入っていったのがこの写真です。

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ふたりは同じような体の揺れ方をしながら、ゆらりゆらりと進んでいきました。
面白いなと感じます。
それにその景色は僕が好きな写真家ユージン・スミスの「楽園への歩み」によく似ていて僕は後ろから前を歩く二人に気が付かれないようにシャッターを切りました。
この緑のトンネルを抜けると小さな家が建っていて、お店をやっていました。
周りを森に囲まれた素敵な空間でした。
おもわず、ここで結婚式をしたら?なんて卓袱台返しを妄想してしまいます。

そこから、また少し歩いていくと東慶寺に到着しました。
東慶寺は縁切寺としても有名なお寺です。
そして、結婚式の打ち合せで縁切寺にも行きました。(笑
東慶寺は県道沿いにあり、外から見ると、現在の風情はそれほどでも無いのですが、門を潜り中に入ると、木々の深さや草花達、建物の優しさ、山の岩肌の苔むした感じが、それまでの疲れを一気に癒してくれるようで、緑の素晴らしさを感じさせてくれました。

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そう、そう言えば、この時にご新居に伺った目的は結婚式の写真の打ち合せ。
でも、鎌倉の山を歩きながら、そんな事はほとんど話をしなかった?もしく話したとしてもほとんど憶えていません。だって2時間以上は歩いたのですから・・もしかしたら3時間以上だったかな。。
でも、僕の中では、良い「打ち合せ」だった、と感じていました。

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